原田 開

Harada Kai


■幼少期■
神奈川県川崎市出身。「止まっている」ということができず常に走り回っていたらしい。体力が余っていると寝ることができなかった。
保育園では友達と二人でTOKIOの「宙船」をひたすら歌っていた記憶がある。
両親の仕事に頻繁に連れていかれていたため、今も仕事についていくと「あの時の子が!」と言われる。私は知らない(覚えていない)のでとても不思議な気持ちになる。

■小学生■
年長から小学校1年の終わりまで剣道、2年初めから4年の終わりまでサッカーなど、小学校の内に6種類(剣道、ラグビー、水泳、サッカー、フットサル、合氣道)のスポーツに触れるが、特にハマることも無く各2.3年で辞める。
それ以外の日はひたすら家が近い友達と互いの家に行き遊んでいた。当時一番ハマったのは大乱闘スマッシュブラザーズXとマリオカートWii。

■中学生■
サッカー部に入部するも4か月で退部。その後男子バレーボールに入部する。バレーボールはここから現在まで続けることになるので誘ってくれた友人には感謝しかない。
平日は朝練と放課後練、休日は全日練習か全日練習試合と正に部活漬けの日々を送る。一つ上の代が居なかったため2年のうちは県大会初戦負けを続けるも、代替わり後は県ベスト8に残る。最後の大会はベスト8で優勝校とあたり中学の部活動は終了。

■高校生■
スポーツ推薦も来ていたが特にバレーを続ける気も無く「チャリ通できるから」という理由で自転車片道20分の高校に進学。
入る部活に悩んだ結果、結局男子バレーボール部に入部する。先輩の怪我が重なり1年の5月からレギュラーに定着。この時にセッターをやったのが自分がバレーにハマった時かもしれない。
代替わり後は部長も経験し、練習に励む。2年の1月末の新人戦で県ベスト16になり、「ベスト8目指せるぞ!」となった矢先に新型コロナウイルスが蔓延し強制終了。

■現在■
産業能率大学に入学。広報委員会に所属し、2年からは委員長となり活動している。2年後期からは橋本ゼミに所属し、本メディアのメンバーとして活動中。
ハマったバレーボールは社会人バレーのチームを見つけて継続している。

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