2023年、串橋ひまわり畑 (伊勢原市串橋) は、ひまわりが見事に咲き誇りました。そして、並走する小田急線とのコラボレーションを求めて多くの人が集まり、大変賑わいました。5年後も10年後、それ以降もまた見たい…!と思わせるほど素敵な景色です。しかしながら、この場所で見られることができるのはあと数年。タイムリミットが迫ってきているのです。
筆者は市外在住ですが、ひまわり畑を支える方々(串橋ひまわりの会)が温かく迎えてくださり、少しばかり参加させていただきました。そして、そこで知ったことが沢山ありました。
この串橋ひまわり畑に関することを「知らなかった…」と悔やむしかない状況になる前に、読者の皆さんにお伝えしたいと思いました。「より多くの方に届けたい」「是非その目で確かめに行ってほしい」という想いで執筆させていただきます。
下記のリンク先ではこちらの記事では見られないひまわりの写真や当時の開花様子等を載せているので是非併せてご覧ください。
数年後、ひまわり畑の場所すら無くなるって本当?
串橋ひまわり畑がある場所は、10年後の2033年に小田急総合車両所を操業開始する計画があり、3年後には用地所得が始まる計画です。つまり、畑自体が無くなるということです。ひまわり畑は伊勢原駅と鶴巻温泉駅との間に位置し、電車の車窓を眺めてみると確認できる近さです。また、周辺には田んぼが広がり、その場にいると電車が通りすきる音が響き渡る、のどかな場所です。
注意:計画通りに完了しない可能性もあります。
以前は異なる場所で始まり、一時中断する年も
串橋ひまわり畑は比々多観光振興会(永井治子会長)の植栽事業を皮切りにスタートしました。以前は、休耕田での利用として2017年・2018年と異なる場所(線路の南側)で、今よりも小規模で行っていたといいます。種をもらったことをきっかけに「試しに」と始めたものの、ひまわりは過湿(土壌の中の水分が多い状態)に強くないため、雨が降るたびにぬかるむため苦労なさっていたようです。そして、2019年には一時活動の中断を余儀なくなりました。理由は土壌の状態に加え、会員の皆さんの高齢化もありました。しかし、「再び植栽をしよう」との声が上がったことから、2020年からは新たな場所(現在の場所)で、以前の場所でも貢献された串橋ひまわりの会の皆さんも含め11人程で再始動となったのです。
斉藤さん | 挑戦心溢れる、現在の畑の地権者
現在の場所に関することについて、串橋ひまわり畑の地権者である斉藤ひろきさんにお話を伺いました。斉藤さんのおかげで活動再開に繋がったといっても過言ではありません。
斉藤さんはサラリーマンをしていたが、ご実家が農家であることから2020年から農家一本に(2023年で3年目)。販売は主にご自宅近くにある直売所で行い、その日採りたての多種多様な季節の野菜をお手頃な価格で購入できることから地元の方から好評を得ており、地産地消を実現している。育てることが難しい種類も「できる範囲で」と謙遜されつつ挑戦されている。4年間 (一期) 伊勢原市議会議員として働いていた経歴も。
新しいひまわり畑の場所(現在の場所)は斉藤さんが所有する畑となったことを聞きました!
そうです、2020年からですね。畑はうちが持っていたけれど、私がサラリーマンをやめてすぐのことだったのもあって、それまで手をつけていなくて空いていました。もともと梨があった畑でした。まずは畑をきれいにすることから始めましたね。
ここで始めようとなった時、懸念はありましたか?
ひまわりは花の中でもあまり水を必要としないこともあって育てやすく、管理しやすいと言われているのですが、「本当にちゃんと咲いてくれるのかはやってみないと分からないこと」ですかね。それまでの畑(以前の場所)では、草に負けちゃってあまり大きくならなかったこともありました。ただ、トラクターをかけたりすることなら自分でも容易くできちゃうので、ここでなんとか頑張りたいと思いました。
あと、もともとひまわりっていうのは良質な土作りのための緑肥※として利用されていて、この畑ではひまわりが枯れた後は倒して、土壌へすき込むことで大根やブロッコリーなんかの冬野菜の栽培に役立てているんです。
※ 緑肥…後に栽培する植物の肥料とするため、収穫しない植物
実際にこの場所では2023年で4回目だと思いますが、1回目から振り返ってどうでしたか?
1、2回目は動物の餌用を使ってましたね。以前の場所と比べるとうまくいったのかなという感じでした。と言っても背が高くて…。撮影展望台の登場によって、撮影スポットになったのは助けられました。
3回目はですね、動物の餌用はやめて園芸用とひまわり油用の種を買って植えることにしたんです。手前に園芸用で、奥に油用という形で。(油用も)幹も花もしっかりしていたので、今年は立派だなと思ったんですけどね。頭が重くてすぐに下むいちゃって…。だから、園芸用の上を向く方がやっぱりいいんだってことを学びました。
4回目はビンセントオレンジ(園芸用)と思われるひまわりの種を使っていました。買ったのもあるんだけど、基本はほとんど去年採った園芸の種なんです。一応園芸用の種ですがF1種※なので、それって既に雑種なんですよね。今年のひまわりを見ても色々なものが実際に生えていましたし。色も違えば、咲き方も一輪咲くのと、回りにいっぱい小さい花が咲くパターンがあって、個性豊かでしたね。
※F1種…ビンセントオレンジを例にすると、一代限りの形質を持つ種で二代目は様々な形質を持った種ができ、二世代以降は実質ビンセントオレンジを残せない種
確かに今年(4回目)色々なひまわりの顔を見た気がします!畑の広さはどのぐらいでしょうか?伺ってとても広く感じました。
1000㎡ですね。なので1列50mでそれが14列ぐらいあります。
1000㎡…⁉ ちなみになのですが、種まき機を斉藤さんご自身で購入なされたとか。
2021年に購入したかな。まぁ、種まき機はひまわり用ではないので、私が農家なこともあって色々使ってます。手まきの時もだけれど、1人1、2列はやるわけですよ。人数も数人なのでその人数でやるしかなくて。先長いなーと思いながら、中腰のまま3粒ずつ植えていくっていうのはなかなか大変でしたので。
途方もないですね…。ひまわりの見ごろはどのくらいの期間ですか?
満開だと1週間ぐらいですかね。ただ、「見ごろ」というのは、人ぞれぞれなんだなと最近気づきました。種になっちゃっている時に見に来てくださった方がいたんですよね。その方に「もうひまわり、終わりなんですよね」と私が言うと、「これもこれでいいんですよ。今しかないから」と言ってくださって。
あーそうなんだと思って、何をもって見ごろかは人ぞれぞれだなと。そう思うと、お盆ぐらいに引っ張ることができるかもしれないですね。
素敵なエピソードですね! 斉藤さんにとって串橋ひまわり畑はどんな存在ですか?
そうですね。だんだんと可愛い存在になってきましたね。親近感のある存在っていうんですかね。最初は単純なツールで、ただなんか串橋でやらなきゃという時にたまたまひまわりだったこともあったので。最初はだって、動物の餌だもん(笑)やっぱりやるならちゃんとっとなって、試行錯誤の範囲ですけれど、種をきちんとしたものを使い始めたのもありますし、手がかかっているというのが分かる畑っていうんですかね。
他のひまわりが咲いているニュースを見ると、ひまわりの花の状態も見るんですけれど、ひまわりの根本辺りとかは”手入れされているのかな”、”草ボウボウなのかな”とか見ちゃうわけですよ。あ、うちの方が手がかかっていて、管理されているんだなと自画自賛もしてます(笑)
2023年は初めてひまわり畑の中を通れるようにと出入り口を作られたそうです。「一般の方にもひまわり畑の中を歩けるようにしてもいいかな」と提案されたのも斉藤さんでした。斉藤さんが言うには「皆さん(串橋ひまわりの会や手伝ってくださった方々)が綺麗にしてくださったおかげで道ができ、入れるようになったから」と話していました。実際、中に入って撮影する女性もいたり、こどもたちも「トンネルみたい!」と喜ぶ姿がありました。
川戸さん | 展望撮影台の秘話
青みのある緑色で塗装され、ビンテージ感ある立派な展望撮影台。階段を登ると、一面のひまわり畑を見渡すことができ、登る前後で見える景色がガラッと変わります。その展望撮影台によって、多くの方が電車と串橋ひまわり畑とのコラボレーションを撮ることができたのではないでしょうか。
そんな展望撮影台の制作に手掛けた第一人者が川戸光久さんです。
川戸さんは串橋ひまわり畑の最新情報をYouTubeで公開したり、市内季節イベントのポスター写真に採用されたり、「いせはら景観写真展」では数多くの作品の中で連続的に表彰に輝くほどの腕前のある方だが、「動画撮影は趣味の写真の延長」 と話す。加えて、「広報いせはら」 や 「みつまめ通信」 等の記事執筆も行い、ラジオにもゲストとして出演。川戸工務店4代目の代表取締役社長として地域を支えている。
種まきの時や草刈りの時は写真や動画を撮影もされていたため、そのカメラマンの方なのかなと思っていたのですが、展望撮影台の修繕や看板作りなどされる姿はまさしく職人。展望撮影台の秘話についてたくさん教えてくださいました。
展望撮影台は川戸さんが設置されたと聞きました。いつ頃だったのでしょうか?また、設置に至った背景がありましたら、お聞きしたいです!
この場所に移って2回目なので、2021年かと思います。1回目の時にひまわりがすごい成長ぶりで2mを超えてしまいました。その時、見に来てくれた子供たちが見上げる形になってしまったんです。
そこで、斉藤オーナーと相談して上から見えるようにと思い急遽作りました。
そのような背景があったのですね。材料はどのようなものを使ったのですか?
材料は以前、串橋地区の神社の整理整頓の時に使わない材料が出てきたので処分するなら「私に譲ってください!」と頂いた物です。元々お祭りの時に使う提灯の枠で、それを再利用しました。お祭りで人を呼び集め照らす提灯台が展望撮影台になり、再び人を呼び集めた訳です。
なるほど。ご縁とタイミングがなければ、この展望撮影台も設置されていなかったのかもしれないのですね。元提灯台が新たな役目に繋がるなんて!さすがプロフェッショナルです。
当初は急遽作ったこともあって、設置した年にひまわりが枯れたら撤去する予定だったんです。が、意外にも散歩中の大人や子供に人気があることが分かり、常設することにしました。その後に、斉藤オーナーがポップカラーに塗装、私はシロアリ被害防止として土の上に直置きだった柱の下にコンクリートの板を敷きました。都度、展望撮影台は修繕を加えていましたが、雨風に負けじと4年間よく頑張ってくれました。
そして、2023年12月17日に解体されたと聞きました。写真のような展望撮影台は現在ありません(2023年12月時点)。今後、新しく再建なさるのかどうかもお聞きしたところ…
展望撮影台解体はシロアリ被害で床が抜けてしまい、泣く泣く撤去しました。。
3年後には小田急車両基地の用地取得が始まるとのことで、この展望撮影台の再建予定はないです。丁度良く材料が出てくれば思いつきで作るかもしれません。ただ、観光振興会や串橋ひまわりの会から要望や協賛などあれば建てるかもしれません。
今回の展望撮影台解体とは別に、2024年は仮設足場を使った広い展望撮影台を作る計画を斉藤オーナーとしています。約2m×4mの横長の物で、材料の足場はウチにあるので費用は0円です。組み立ても撤去も簡単なので、ひまわりシーズンに合わせて設置できたらと思っていますが、簡単に組み立てることができる故に盗難が心配なので、工夫しなければと考えているところです。
愛され続けてきた展望撮影台には様々なエピソードが満載でした。因みに、階段から上を「展望撮影台」と言い、階段から下の平らな高台は「ファミリースペース」と言われていました。下記の写真は草刈り後の休憩でファミリースペースに座って一休みする様子です。
平岡くん | 串橋ひまわり畑との繋がり
ひまわりの花と笑顔が似合う彼の名は平岡晃弥くん。種まきをする時から串橋ひまわりの会の皆さんと仲睦まじい姿を見せていた筆者と同じく大学生。お会いする当日まで知らなかったため、びっくりでした。彼と串橋ひまわり畑との繋がりを知りたく、話を聞いてみました。
いつからひまわり畑での活動に参加されていたのですか?
実は今年(2023年)が初参加でした。自宅から近いことや電車が好きなこともあって、ひまわり畑と電車との写真は一昨年(2021年)からで、ひまわり畑ができる前だったら小6くらいからこの場所でよく撮ってました。
そんな前から!自宅が近くなのですね。もしかして、ご近所さん繋がりで参加されたとか?
実は違うんです。ひまわり畑で写真を撮っていた時、斉藤さんから「是非、一緒に種まきを手伝ってもらいませんか?」と誘ってくださったんです。去年は別の予定があって難しく、今年参加させていただきました。このひまわり畑の運営に携わることができると聞いた時はとても嬉しかったです。
斉藤さん曰く、
色々な人に声をかけまくっていたところ、その中でもとりわけ反応がいい子がいまして。「今年やりたいです!」と言ってくれていたのが平岡くんでしたね。
とのことで、好青年の印象だったようです。
次にこちらの写真をご覧ください。
筆者が串橋ひまわり畑を撮りに行った際の1枚で、イベントで走行していたVSEです。なんと乗車されて手を振る方々の中に平岡くんがいたという出来事がありました。VSEは2023年12月10日に完全引退。電車好きの彼はその最終運行にも乗車していたといいます。この串橋ひまわり畑の場所も通っていたと聞きました。
ひまわり畑周辺にはたくさんの方が撮影されていたのを見て、今夏、ひまわり畑に大勢のVSEファンも訪れたことを思い出しました。小田急ロマンスカーVSE引退記念切手の1枚にはひまわり畑とVSEが採用されていて、小田急ファンなら知らない人はいないひまわり畑になったのだと思いました。改めてとても愛されているひまわり畑だなと感じました。
熊谷さん | 串橋ひまわり畑の現代表者の行動力とは
初代代表に代わって串橋ひまわり畑の3代目代表を務めている熊谷吉祥さん。種まきや草刈り、花見の会の日程や以前のひまわり畑の情報等を教えてくださいました。
熊谷さんは神奈川県座間市にある学校の教員を定年退職。後に伊勢原市役所で非常勤務職員として9年間勤務し、特別公務員である民生委員は4期12年間勤務されたご経歴がある。社会教育主事の資格を活かし、いせはら未来っ子クラブ(放課後子ども教室)の立ち上げから従事。現在も運営に携わっている※。他、畑を借りて野菜作りに励んでいる。
※現在市内で10校ある小学校のうち9校で放課後子ども教室が実施されている。8校は市の青少年課が直接運営し、1校は市の委託を受けて熊谷さんが運営。
代表になられた経緯があればお聞きしたいです!
ひまわり畑の会に関わるきっかけはまずは「善波太郎の墓保存会」という地元の歴史保存会に入会したことでした。それとは別に比々多地区を盛り上げようと比々多観光振興会(永井治子会長)もあり、その串橋地区の代表をしている流れで、串橋ひまわりの会の代表をやらせていただいています。植物栽培好きなので、いいですよと。串橋ひまわりの会の皆さんも「善波太郎の墓保存会」に参加されている人の集まりみたいなものです。
様々な団体と熊谷さんは結びつきがあるのですね!熊谷さんにとって串橋ひまわり畑はどんな想いを持って活動されていますか?
私は40年近く他市で働いていて、その間は地元の方々と全く触れ合うことがなかったこと。地元に関する知識や歴史に疎かったこと。子供の頃から草花の栽培、鑑賞が好きだったこと。などがあって、ひまわり畑は色んな意味でチャンスでした。そして、今年2023年は夏休みに子ども達がお家の人とゆっくりひまわりの鑑賞が出来るように種蒔きのタイミングを皆さんで考えました。このようなことに関わることが出来て嬉しく思います。
特に熊谷さんのことで印象的だったのは今年2023年8月1日のゲリラ豪雨直撃。その後日の対応の速さでした。背が高く、1本の幹で支えている花の大きいひまわりは下を向くだけに留まらず、根っこごとむき出しになり、倒壊事態となっていました。熊谷さんはというと、
その現場に直ちに向かい、午前8時には「目立つところは完璧に起こしました」と写真付きでグループLINEに報告が入っていたのです。
下を向いたひまわりが再び上を向くことはありません。それでも、早急な修繕を図ったことで、根や幹は懸命に立つ状態を保ち、ゲリラ豪雨後も多くの方が楽しそうにひまわり畑の撮る光景が見られたのではないかと思います。熊谷さんにその原動力は何かとお聞きしたところ…
1番はひまわり畑を通して地域が盛りあがってくれたらと願っているからです。それに加えて、川戸さんと斉藤さんが中心となってお立ち台(展望撮影台)を作ってくれて、より多くの人がひまわり畑に来てくださるようになって。私は手伝うことしかできないので、できることをやっているだけなんです。
それに、子供たちがひまわり畑を通過する電車に向かって手を振り、運転手さんが(サービスホーンを)鳴らす様子を見るのが好きなんです。斉藤さんと私がひまわり畑で作業している時にですね、電車が通るたびに鳴っていたので、”誰かが手を振っているのかな…?”と思ったのですが、周りに私たちしかいないことに気づいて。「もしかして私たちに⁉」と疲れが吹き飛ぶ心地でしたね。
串橋ひまわり畑を振り返って
今年もお疲れさまでした!ということで、種まきからお世話になった串橋ひまわりの会の皆さんと再度集まりお話しを伺いました(※花見の会)。「質問いくつかしてもいいですか」と尋ねると、「何でも答えていきましょうよ」と一致団結してくださいました。集合写真では”私入ってもいいのかな”と思いつつも、ご一緒させていただきました。
2019年一度中止なされたと聞きましたが、なぜ再度頑張ろうと思えたのですか?
ひまわりを通じて、串橋を盛り上げたいという想いがあって、ひまわりを夏の楽しみとして待ってくれる人もいるのでやらないという選択肢がなかった。継続しなければいけないなと思いましたし。
私もそう。今の場所よりも前の場所でも、いっぱい写真を撮ってくれる人がいたからだよね。だからやっぱりそういうスポットがあるっていうのは、続けていきたいっと思わせてくれたね。
11人ほどで活動されていると聞きましたが、やはり大変ですか?
今私が思っていることはですね、最低14人いると14列ほどあるので1人1列(50m)やれたらいいなと思いますね。1列といっても、思っている以上に距離があるので大変なことには変わりないのですが、やりがいはやっぱりありますよね。
今年、私は4列目に全部一人で種を植えて、草刈りも全部4列やりました。前の場所もだけれど、今の場所も1回目は手まきだったよね。種まきは30センチ間隔だから、私は足の長さが26㎝位なので、足の幅を基準に植えていたかな。
確かに全て手まきは大変だった。3粒ずつ中腰になって行っていたので。けれど、斉藤さんが種まきを購入してくださってから、少し楽に減りましたね。本当にありがたかったです。草刈りはひまわりを傷つけないようにとか、2本ひまわりが近くに咲いていたら、間引きの判断とかで、手で抜きましたね。
困ったなと思った時はどんな時ですか?
それだと、カラスが埋めたばかりのひまわりの種を食べてしまった年もありましたね。確か去年(2022年)でしたね。
まさに、「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」だよね。種を撒いた傍からカラスに食べられてしまう諺だけれど、まさに言葉の通りすぎて。
カラスって賢いんですよ。けれど、今年はテグスとして、斉藤さんが「釣り糸を張ってみたらいいのではないか」という案を出してくれて、実際に作ってみたら、見事に功が奏して被害が出なかったんです。
去年はたまたま見られちゃったのもありますよね。一度覚えられると、またやってくるかもしれませんし、厳重注意です。
色々ありますよね。他にというと、駐車もですかね。
ひまわり畑へ楽しみに車で来られて、でもどこに停めたらいいのとなって、「駐車場が無いから」「ひまわり畑のわきの道が広いから」といっても、農道なので停めてはいけないんですよね。駐停車禁止マークもありませんが…
そうですね。駐車場のスペースは「よろしくお願いします」とお借りさせていただいているのですがほんの数台になりますので、公式には発信していないんです。あまりオープンにしても停めれないこともありまして…。やはり”みんながもっと気軽に”となると、駐車場の確保をしたいところなのですが、こればかりは仕方がないとしか言えないですよね。
後もう一つ!ひまわりが背が高くなりすぎる時はちょっと大変だよね。2mぐらい高くなったこともあってね、電車とのコラボレーションとしては目線的には最高だけれど、強風や大雨に見舞われると、頭が大きいひまわりは支えきれずに倒れてしまうからなー
天気予報のニュースを目にしながら、「今回はひまわりを育ていることができないのかな」と思っていたんですよね。
ゲリラ豪雨とか台風とかっていう時にひまわりが倒れるとやっぱりね、かわいそうになっちゃうのは背丈が高いだけにありますよね。
人生的にいうとさ、いつも上を向いてほしいよね
山田さんの名言に対して「お~~~」と皆さんの声と笑い声に包まれた時間が忘れられません。串橋ひまわり畑のことを聞くと話がとまらないぐらい串橋ひまわり畑への愛を感じ取りました。
【一言メッセージ】ひまわり畑と伝えたい想い
最後の一言として伝えたい想いをお聞きしました。
もちろん、今後どうなっていくのかまだ確定していないことばかりですが、できる限りこの活動を続けさせてください…!というのと、小田急さんの運転手さんに(サービスホーンを)鳴らして応援くださってありがとうございます…!という感謝の気持ちを伝えたいです。
僕も車両基地ができるまで、このひまわり畑を今よりももっと大勢の方に見に楽しんでもらいたいです。この串橋地区を盛り上げていくために、僕自身もこの活動に関わり続けたいのと、小田急さんとの友好な関係性をこれからも築いてゆきたいですね。
少し話が変わりますが、今年2023年のいせはら景観写真展は「知ってほしい!いせはらの景観」というテーマだったんです。写真展に見に行ったのですが、ひまわり畑の写真が沢山ありました。どの作品も力作で地域の子どもたちにとってもそういう場所なんだと思ってくれているんだと知ってとても感動しました。
お米でいう田植え体験があるように、ひまわりもそういう体験を通じて、地域の子どもたちに今よりももっとひまわり畑との思い出を作ることができたらなと私が今一番思っていることです。例えば、種まきから一緒に関わって、今のひまわりはどんな状態なのかと日々ソワソワしちゃうほど好きになってほしいぐらいです。
地域の小学生や中学生、高校生でも大学生でも社会人でも気になったら乗っかってしまうおう精神で誰でも参加してほしいな。私もいつまでか分からないけど、まだまだこの活動を一生懸命栽培したい思います。ゴッホが愛したひまわりを育てるぐらいの覚悟を持って!なんてね。
住んでいる所にこんな良い場所があるんだよ、こんな伊勢原のスポットがあるんだ知ってほしいですよね。そのためにも、私たちもしっかり伝えていくことが大事だと思っています。数年後になって、どんな景色になっているか分からないですけれど、一人でも多くの人たちにとって、忘れられない、忘れたくない大事な場所であり続けてほしいと思うんです。
この場所でまたひまわり畑を見れるその時まで、ひまわり畑を通じて地域を盛り上げていきたいですね。今はとにかく(この活動がこの場所で)できるまではと楽観的に考えています。ときどき寂しい気持ちに浸っちゃう時もあるかもしれませんが、またみんなで知恵を出し合っていったら、他の新しい道も開けるんじゃないかな!これからもみんな健康的で元気よく、そして、楽しみながらできたら尚最高です。
設置されていた募金箱について
展望撮影台の裏側には募金箱が設置されていました。熊谷さん曰く「目立つ場所に置くのも問題かなと思って、宣伝もしないようにしていました」と話していました。続けて「ひまわりの開花時期が過ぎてから取り外したのですが、結構入っておりまして、気づいてくださった方が入れてくださったんだなと、とても嬉しいですね。募金を入れてくださった皆さま本当にありがとうございました。」と感謝の言葉を口にしました。
別れの前に私たちができることは
今年2023年の串橋ひまわり畑は老若男女問わず多くの人を魅了させました。
上記の写真のように、電車とのコラボレーションのみならず、伊勢原のシンボルである大山とのコラボレーションも人気を集める理由の1つです。そんなこの場所も、例え最高の夏を迎えたとしても姿を見せることができない年がやってきます。
串橋ひまわりの会の皆さんも残念な気持ちが大きいと思いますが、今回活動に密着し、来年以降に向けて気持ちを強く持っていることを知ることができました。一丸となり、どんなことが起ころうとも、何度もひた向きに活動される姿が目に浮かびます。
改めてですが、串橋ひまわりの会は11人程の少数精鋭で活動されています。「人手が欲しいのも本音です。年齢や市内外在住関係なく、一人でも多くの方が興味を持ってくださって、この活動に加わってくれたら嬉しい。」と皆さん共通して話していらっしゃいました。
筆者も2024年、2025年・・・と串橋ひまわり畑での活動に引き続き参加させていただけたらと思っています。読者の皆さんも串橋ひまわり畑の活動を共に盛り上げ、皆さんにとってもかけがえのない特別な場所であってほしいと願っています。
執筆:山内愛弓