本記事は、↓の記事の続きです。
「学生団体E4」は、現在、6期生まで続いています。
「高校生による有志団体」でありながらも、
その活躍ぶりは非常に目を見張るものがあります。
そんなE4メンバーが頑張れる理由の一つに、OB/OGや事務局の方々の存在があります。
OB/OGや事務局は、活動における現役メンバーのサポートを行うほか、定例会にも参加し、会議の和やかな雰囲気を醸し出してくれる存在です。また、現在のE4の外部のイベント等にも積極的に参加をしていらっしゃる方が多いです。
そのため、現在の「学生団体E4」において、OB/OGと事務局の影響は非常に大きいものであると言えます。
そんなOB/OGも、かつては「現役メンバー」でした。
現在の6期生が「インハイ」に向けて頑張っているのと同じように、
OB/OGも現役時は、それぞれの課題や目標に取り組んでいたということです。
「学生団体E4」という団体の魅力は、OB/OGの方々がどのように活動をしてきたのかを知ることで、より深まるのではないか?
そう考えた私は、学生団体E4を支えてきた1~4期生。そして、事務局の方にお話しを伺ってみました!
6期生も現在、計画を進めている「インハイ」。
こちらがE4の頑張りの秘訣としてありそうです!
この記事は、こんな人におすすめ!!
- 秦野市に住んでいる人
- 高校生のみなさん
- 「学生団体E4」を聞いたことある人
- 「学生団体E4」に興味があり、入ろうかなと考えている人
- 「インハイ」に参加したことがある人
【1期生】E4を創った1期生
1期生のインタビューはこちらの2名!
小野莉愛さん
1期代表 団体内での愛称は「おのまり」
櫻川こなつさん
1期会計 団体内での愛称は「こなつ」
1期生は、言うまでもなくE4設立時と同時に始まった世代です。
小野さん(前回記事にも登場)たちは、どのようにして、学生団体E4を設立する経緯に至ったのでしょうか?
E4を設立しようと考えた経緯はなんでしたか?
元をたどると、私たちが高校二年生の時に参加した『秦野高校生議会2018』です。
この時、私と小野さん含めて集まった有志の高校生たちが参加しました。
話を伺うと、E4の原点は「秦野高校生議会2018」にあるようです。
「秦野高校生議会2018」は、秦野市青年会議所主催のイベントで、市内在学・在住の高校生17人が参加しており、小野さんと櫻川さんはそこで議長を担当していました。
「若者に政治に関心を持ってもらうと共に、まちづくりへの参画度や郷土愛を高めてほしい」という想いから開かれたこの会議では、高校生たちが自分たちのまちをより良くするにはどうするべきかを考え、市長に提言を行うというものでした。
これらの提言は「陳情書」として秦野市へ提出されました。
こうして「秦野高校生議会2018」自体は終了しましたが、参加した高校生の中には、冷めぬ思いがありました。
参加していた時に、「陳情書の内容を達成させるにはどういったことが必要か?」と考えていました。
そんな時、秦野市青年会議所の方から「陳情書の内容を達成させるための団体を作ってみない?」という打診があり、私や小野さんは「それならやってみよう」と考えたんです。
こうして、「秦野市をより良くしたい」という志を持つ高校生たちによって、
秦野市青年会議所の支援のもと
2019年2月11日に「学生団体E4」が創設されました。
この時、代表として選ばれたのが小野さんでした。
小野さんが代表になった経緯はなんでしょうか?
私と櫻川さんの二人が高校生議会の議長だったこともあり、青年会議所の方から『代表をやってみませんか?』と言われて、『やろう』と思って引き受けました。
そもそも高校生議会に参加したきっかけが自分が高校時代に生徒会長をやっていた際に、自分の生徒会が満足いく活動にできていなかったので、外部の活動にもっと積極的にやりたいという意欲が結構あったんです。
そこで、「高校生議会」が楽しくて、さらに新しいことをやってみたいという気持ちがありました。なので、代表になる抵抗とかも全然なかったですね。
このように語る小野さん。
そんな小野さんは、E4に限らず様々なことに取り組んでいる方です。
高校で生徒会長を務めた際には、高校内の自動販売機に炭酸飲料の導入を実現させるなど、行動力が非常に高い方です。同時に積極性も高く、自分の高校の枠を超えて秦野青年議会所に参加したり、高校卒業後も、20歳の成人式では実行委員長も務めていました。
その活躍ぶりは、タウンニュースでも取り上げられました。
実際に、私がE4のOB/OGを含めた定例会に参加した際にも、定例会における小野さんから溢れているバイタリティは凄まじいものを感じました。
My Playful Townで数々の記事を執筆してきた柳田愛美里さんは、小野さんの同じ高校の先輩にあたります。
当時小野さんと同じく生徒会だった柳田さんも、小野さんへ絶大な信頼を置いていました。
設立と共に決められたのは、E4という団体名。こちらは
”Eager”=熱心に
“Enjoy”=楽しんで
“Effort”=努力を怠らず
“Effect”=秦野に良い影響を与えられるように
という意味が込められていますが、これは、自分たちの活動の理念を考えている際に、「秦野市を活性化させたい」という想いをわかりやすく伝えるものを模索している中で、当時流行っていたドラマ「花より男子」に出てくる「F4」から連想されて、「E4」という単語が出てきたそうです。
頭文字を取った活動理念であれば、自分たちの活動理念も伝わりやすいということから、この団体名になったそうです。
そんな小野さんや櫻川さんを始めとする、1期生の皆さんたちによって、学生団体E4の歴史は始まりました。
【1期生】「インハイ」の誕生
E4が設立された当初の活動は、秦野市からの要請を受け、丹沢まつりでインスタグラムの更新を行い、祭り当日にボランティアの実施したり、神奈川県議会議員選挙では公開討論会のタイムキーパーなどの手伝いなどを行うなど、秦野市が行う行事のお手伝いを中心としていました。
そんな中、小野さんたち1期生は、3年生の受験の関係で夏頃には引退することになっており、
その前に3年生メインで何か大きなイベントを自分たちで実現したいと考えていました。
それが後の「インハイ」となります。
インハイをやろうと思った経緯はなんでしたか?
まず、「秦野市を盛り上げる方法(より良い秦野市)」というのを根底に考えて、私たちで話し合いをしたんです。
その中で、高校生が活躍できる場が非常に少なく、特に文化部は体育系の部活と違って秦野市全体の大会がないということに気づきました。
この背景を踏まえ、「秦野市を中心とした文化系の部活が一気に集う文化祭の場」を実現すると良いんじゃないかと考えたんです。
なるほどです!
と言うことは、高校生がメインターゲットのイベントだったんですか?
高校生だけじゃないです。高校生も含めた他世代間が交流できる場にしようという方向になりました。
例えば、ご年配の方とかでも「吹奏楽」を聞く方はいるので、そういう方にも「吹奏楽部」の催しを楽しんでもらえる機会になると思います。
さらに、中学生にとっては、このイベントを通して各高校の部活の雰囲気を知ることで「中学生の志望高校を決める場」として、興味のある高校を絞れるイベントにもなると考えました。
こうして、1期生の現役最後のイベントとして高校生の文化部イベントのインハイは始動しました。
しかし、立ち上がったばかりの団体が行うイベントということもあり、
開催に至るまでの過程は、非常に辛いものだったようです。
初の大型企画ということで、正直辛かったのではないでしょうか?
めちゃくちゃ辛くて(笑)
全員もちろん頑張らないといけないんですけど、役職の責任者になった人とかはほぼ毎日会って会議しましたし、幹部とかだと団体を回しつつ、業務もやらないといけないので、めちゃくちゃ大変でした…
今もやっている企業や学校回りは、この時からやっていて、インハイの説明をして協賛金を貰うことや、高校にお願いして、インハイに出場してもらう交渉などは、やっぱり大変でしたね…
このように、協賛金集めや高校への部活動参加依頼を中心に苦労されていたようです。
なお、これらの流れは5期生と6期生のインハイでも行われています。
当時、「高校生が秦野市を盛り上げてくれるのは嬉しい」ということで、多くの企業が協賛金を提供してくれた一方、出来たばかりの組織かつ初のイベントということもあり、高校への部活動の参加依頼は、必ずしも良い返事をもらえたわけではありませんでした。
特に、他の世代との大きな違いとして、「前例」が無いため、「うまくいくかどうか」という不安要素は特に大きかったと思います。
そんな非常に大きなプレッシャーと向き合いながらも、
1期生の皆さんは、8月2日に無事インハイを開催できました。
秦野市内の高校の軽音部、合唱部、ダンス部のお披露目などが行われ、当日は大盛況だったようです。
とても大変なことを乗り越えた1期生。
なぜ乗り越えることができたのでしょうか?
小野さんは当時をこのように語ります。
やっぱり一緒にやっているメンバーたちとの仲間意識が芽生えていたからだと思います。だから、辛くても「やりがい」は感じていました。
当日までは不安でしたが、当日は大盛況で良いイベントになったので、自分たちがやってきたことが報われた気持ちになれましたね。
この時感じた達成感は本当に心に残っていますし、だからこそ、今もE4にサポートとか青年部として活動に関わりたいって思えるんです。
大変なことに対して取り組む時、そこにいた仲間が1期生同士の支えとなっていました。
同世代同士での結束力は、1期生の頃からあったようです。
そんな高校3年に大きな挑戦をした1期生も、この春から社会人となりました。
小野さんは「教師」になり、櫻川さんは「看護師」として、現在は社会で活躍されています。
実は、小野さんの進路選択にもE4でのインハイが絡んでいます。
インハイで中高生に関わった際に、「高校生とかがワクワクするようなイベント」を作れて、その時の高校生の表情が印象に残っていて、「こういったイベントをずっと作っていきたい」と思うようになりました。
そのビジョンを実現するには何が良いかなと考えた時に、自分が学校現場に入って、例えば普段みんなが受けているような学校行事とかではなく、もっとオリジナリティのある面白いものにすることで、「学校って楽しい」と感じてもらえる環境を作れるかなって考えました。
それが一番当てはまるのが「教師」でした。
また、櫻川さんはキャリアの一部に、E4の影響がありました。
「看護師」はE4関係なく昔から志していました。
ただ、E4の活動を通して、防災関係とかで秦野市との繋がりで「こういう状況でも保健師は活躍できているのか」というのを目の当たりにできたので、「保健師」の資格を取るきっかけができました。
このように、お二人ともE4の活動や成功体験を胸に、キャリアを築かれました。
なお、E4の活動の中で秦野市役所の人と関わる機会が多かったり、インハイで子供たちを楽しませる企画を考える経験もあるため、E4メンバーは「公務員」や「教育関係の仕事」を志望する人が多いです。
1期生は、E4の始まりとして、右も左もわからないE4にインハイという一つの指標を実現させることができました。
その影響は、現在にまで着実に受け継がれており、現役メンバーにも影響を与えると同時に、秦野市にも大きな影響を与えたのはないかと思います。
特に、前例のないインハイの開催は、積極的で行動力がとても高い小野さんを始めとする1期生だからこそ実現できたものでした。
この設立からインハイ開催に至るまでの1期生「積極性」と「行動力」の高さは、後のメンバーにも共通する特徴であり、今日のE4が輝ける根底にあるものになっていると思います。
後に小野さんは「E4がここまで続くとは思っていなかった」と語っていますが、E4がここまで続く理由の一つに、インハイを実現した1期生の頑張りが、今のメンバーにも影響を与えているからであると、私は思います。
こうして、1期生が持ったバトンは、2期生へと繋がりました。
【2期生】コロナによる苦難
2期生のインタビューはこちらの3名!
村山綾菜さん
2期代表 団体内での愛称は「あやな」
寺田真優さん
団体内での愛称は「おてらだ」
豊田天貴さん
団体内での愛称は「ハンス」
2期生の中でも村山さんは「秦野高校生議会2018」に1年生として参加しており、E4の設立時に1期生の一つ下の世代として在籍していました。
E4に入ろうと思った理由は何でしょうか?
高校1年生の時に参加した「秦野高校生議会2018」がきっかけです。
中学の時から生徒会に入っていて、その中で学校のみんなの要望を叶えたくて、色々なことを改革をしてきました。
そこで、高校に入ってからは生徒会だけでなく、今度は「秦野市」という括りで見て、高校生の意見や要望をぶつけたり、主張することに、憧れを抱いて、議会を通してE4の設立及び参加を決めました。
このように語る村山さん。
村山さんも非常に積極的な方で、特に高校生の時から、「秦野市高校生議会2018」という道が開けてから、神奈川県の「ハイスクール議会」、「全国高校生未来会議」、黒岩知事の「対話の広場」と言った色んな「自分の意見を自分の言葉で伝える場」に自ら赴くようになったそうです。
そんな村山さんに影響を受けてE4に入ったのが、寺田さんでした。
私は、村山さんと同じ高校でお友だちになり、村山さんに誘われて2年生で生徒会にも入りました。2年生の冬に村山さんにE4の活動に誘われて、もともと興味なかったんですけど、とりあえず行って、そこから決めようという気持ちが強かったので行ってみることにしました。伝聞情報だけじゃなくて、自分の目で見たかったんですよね。
このように語る寺田さん。
E4に入ると同時に、村山さんと同じく、「自分の意見を自分の言葉で伝える場」に魅力を感じられ、即決で入会したようです。
このほかにも多くのメンバーが2期生としてE4に入られていました。
そんな村山さん率いる2期生ですが、村山さんが「代表」として活躍した3年生は、2020年です。
「新型コロナウイルス」による緊急事態宣言が発令された時期と丁度重なります。
世の中では色々なことが変化したり、制限された年でしたが、それはE4の活動も例外ではありませんでした。
コロナの影響により、やりたかったことの多くがほとんどできない事態となっており、その中にはインハイも含まれていました。
当初、私は1期生に行った「文化部発表会」をさらにバージョンアップしてできればなと思っていました。他にも、飲食は販売だけだったのを、キッチンカーを呼んでみたりとかで、文化部の幅を広げつつも、前回の反省を活かした改善を試みようと思っていました。
ですが、やっぱりコロナで文化会館で行うイベントはできなくなってしまったんです。
当時は、「オンラインインハイ」という形式で文化部の発表のオンラインバージョンをやる案もあったそうですが、技術の面や高校生の活動を表沙汰に公開されるのが学校としてどうなのか?といった理由で実現できなかったそうです。
こうして、「対面のインハイ」の開催は無くなり、「高校生議会のオンライン版」としての開催に留まりました。
ですが、今回のインハイを経験して、E4に入られた方がいます。
それが、豊田さんでした。
当時、コロナ禍で、学校内の文化祭も無くなって、人とのつながりが薄くなるのを感じました。
「自分は高校3年生なのに、何かやりたくても、何もできない」という虚しさを感じていたんです。
そこでE4のインハイに出会って、「こういうことをやっているんだ」という尊敬とか「やった!」という嬉しさがあったんです。
そして、実際に参加して見たら、市内の高校生の意見を交流することで、自分自身での「秦野」を見つめ直す機会になり、そこから「自分たちで出来ること割とあるんじゃない?」と感じて、「E4に入る意味」があると感じました。
こうして豊田さんはE4に入られました。
ですが、当初、高い志を持って、E4に入った村山さんにとって、インハイの規模を大きく縮小したということは非常に辛かったことでした。
これに留まらず、コロナによる不安定さで、高校の授業もどうなるかわからない状況で、E4のスケジュールや決定事項も中々決まらない日々が続き、村山さんはかなり苦心されていたとのこと。
特に、リモートによる会議が増えましたが、オンラインで会議をするのは、お互いに顔が見えない分、喋らなかったら「いない」と一緒なので、難航しました…
また、村山さんは、とても真面目な分、自分のやっていることが本当に正しいのか不安になることもあり、実際に会議でうまく答えられない経験もされたそうです。
さらに、設立時にいたメンバーが離脱することなども重なり、心身ともにかなり追い込まれたこともあったそうです。
ですが、ある出来事がきっかけで立ち直ることができました。
一番つらい時期に、仲良い友達も大変な想いをしていることを知ったんです。その時に、私はそこまでじゃないし、その人に対して「頑張ってほしい」という気持ちがぶつけなきゃいけないと思ったんです。そこから、『私ももっと頑張らないと』いう気持ちになり、立ち直るきっかけとなりました。
その子は今、毎日とても頑張っています。
私は、その子がいたから、立ち直れたと思います。
また、村山さんにとって、E4の中でも寺田さんの存在は非常に大きく、2期生の取り組みにも大きく影響していました。
私にとっては寺田さんの存在も大きかったです。
当時、想定していたインハイが出来なくて、どうしようかと行き詰まっていました。その時、寺田さんの「それでもできることをやった方が良いよ」という言葉に背中を押されて、色んなことに取り組む方向性で進めることにしようと思ったんです。
私たちにはインハイしかやることしか頭になかったけど、「形を変えてもう一度やれば良いのでは?」ということで、自分達らしい企画が2期生で出来たと思います。
このように、E4は2020年度の活動で、
別のアプローチで秦野市を盛り上げるという選択肢を取りました。
【2期生】コロナ禍で「私たちができること」に取り組んだ2期生
コロナ禍の企画としてまず始まったのが、「医療従事者の方へ感謝のメッセージを伝える企画」でした。
コロナ禍で医療従事者の方は最前線で頑張っていらっしゃるのに、その感謝の想いを伝える場をが無い事に気づいて、「私たちに何かできることは無いのか?」と思って考えたのがこの企画でした。
企画の内容としては、医療従事者の方へ向けたメッセージを紙に書き、それを写真にして、最終的には「モザイクアート」という形で、医療従事者に贈るというものでした。
メッセージの応募はSNSで行われたほか、村山さんは学校が再開していない中、LINE等を通じてお友だちにも募集を募るなどして、メッセージを集め、結果的に、メッセージは300以上も集まりました。
その中には秦野市の高橋市長や神倉寛明議員、春風亭一左などの秦野市の著名人による動画のメッセージもありました。
こうして、富士山と丹沢の山並み、折り鶴、「ありがとう」の文字のデザインが特徴のモザイクアートが完成しました。
このモザイクアートは、一般社団法人秦野伊勢原医師会、秦野赤十字病院、八木病院に寄贈されたそうです。
この企画はタウンニュースにも取り上げられ、実際に医療従事者の方から感謝のお手紙を頂いたそうです。
村山さんにとっても、現役時のとても印象深いイベントとして、この企画を挙げています。
正直、あの時は企画を実行し、やり遂げるまでが本当に大変でした。
でも、300を超えるメッセージが集まって、その中の自分の努力と達成感、そして、みんなの気持ちを「一つ」にできる団結力を「モザイクアート」として表現できたことに、すごい「やりがい」を感じることが出来たので、本当にやって良かったなと思っています。
そして、もう一つの企画が「現役高校生が教えるおいしさ再発見!〜地元巡り〜」です。
こちらは、コロナ禍で厳しい状況にあった秦野市内の飲食店を盛り上げる企画として実行され、E4のInstagramのアカウントを用いて計33店舗の紹介を行いました。
まさにこちらも「コロナ禍で私たちにできること」として取り組まれた活動と言えます。
寺田さんにとって、この活動は特に印象に残っているようです。
私がE4に入って初めてアクティブに活動したのが飲食店の企画でした。
それまで、私は秦野のために頑張って携わる不特定多数の人達に直接関わる機会が無かったんです。なので、飲食店企画は、初めて秦野に住む人たちについて初めて「知れた」感覚になりました。
そのプロジェクトで「地域を知る」楽しさを気づけることが出来たし、大学でもそういう活動をしたいと感じたんです。なので、私にとっては人生の起点になるようなイベントでした。
私的に、コロナだからこそ「外に出ないで地域の魅力を再発見する」というコンセプトがしっくり来たし、お気に入りでしたね。
このように語る寺田さん。
私たち「My Playful Town」でも、Instagramで同様の企画が動いていますが、私たちよりも早く、そして多くE4は行っており、私ももっと積極的に活動しないといけないと感じます!
2期生はほかにも、後輩である3期生や4期生と共にマイプロジェクトアワードへの参加や、ココハダTVの「今日もジェントルで行こう!」への出演などを行っていました。
少し変わったものだと命徳寺での座禅体験などを行ってきました。
2期生はコロナにより、多くの活動を制限されたり、リモートによるコミュニケーションの難しさ、学校がいつ始まるのかもわからない不安定なスケジュール間の中でも、コロナ禍で頑張ってる人々を支えるため、精一杯の活動を行ってきました。
その大変さは、インハイに匹敵し得る忙しさがあったかと思います。
それでもあきらめなかったのは、村山さんが代表で、それに共鳴したメンバーがいたからだと思います。
結果として、活動の幅を大きく広げることができたので、「『インハイ』を主体としつつも色々な活動に取り組むE4」というイメージは、2期生が起点だったと思います。
正直、辞めたいと思ったことはありませんでしたか?
頑張って積み上げたものが周りに認められないことがあって、その時は正直、「辞めたい」と感じることもありました。
でも、それでも続けられたのは、団体を立ち上げて、「インハイ」という大きなことを成し遂げた1期生たちの気持ちを繋げたいという強い気持ちがあったからだと思います。
ただ、「繋いでいきたいからやっていた」けど、先輩たちの思い描いているものと私が考えていたことのズレもあり、やってきたことに対して成功できるかもわからないので、辛かったと感じる部分もありました。そういう時でも続けられたのは、最終的には2期生のみんなのおかげだと思います。
村山さんは、代表として動くにあたって、特に「コミュニケーション」を大事にしていたようで、嫌われるとかそういうのは気にせずに会議に出ない人にも積極的に連絡を取ったりしたそうです。
これは、「繋がりを無くさずに、みんなの意見を聞くことが大事」だと考え、みんなの意見を聞いたうえで、方向性を示すのが自分の役割だと思ったからこその行動とのこと。
それは実際に2期生メンバーの心に届いていたからこそ、2期生はメンバーは村山さんに付いてきたんだと思います。
先輩たちの想いを絶やさない強い想いを持ち、メンバーとのコミュニケーションを大切にした村山さんが代表だったからこそ、メンバー同士の結束も深まり、コロナでも「秦野をより良くするための活動」ができたのだと思います!
また、これらの活動に影響を受け、寺田さんも豊田さんも、現在も様々なことに意欲的に取り組んでいます。
寺田さんは、「飲食店巡り」を通して地域と関わる経験をされたこともあり、大学のプロジェクト活動を通して「秦野市市制施行70周年記念事業市民企画会議」に参加しており、「こども議会」を提案されたとのこと。
大学進学後も地域のために頑張っていらっしゃるようです。
また、豊田さんは現在、OBとしてE4の活動に積極的に関わっていらっしゃいます。
豊田さんは、E4の今後をこのように語っていました。
秦野市中の高校生にE4という存在を知ってほしいし、市内の大半がE4に入っていて、活動バリバリにやっていると、嬉しいと思います。他の団体と密接に関わるのではなく、独立しているからこそ、「高校生としての団体」としての良さが際立つようになってほしいなと思っています。
豊田さんは、現在もイベントによく参加されており、OBとしてもなお、現役メンバーに影響を与えている存在となっています。
それは、豊田さんの中で、「自分がサポートすることで、より高校生の現役メンバーが輝けるようにしたい」という想いがあるからこそだと思いました。
こうして、E4に大きな影響を与えた2期生は、3期生へバトンタッチしました。
【3期生】形を変えて「対面のインハイ」を実現した
3期生のインタビューはこちらの3名!
齊藤初依さん
3期代表 団体内での愛称は「うい」
山口さくらさん
団体内での愛称は「さっく」
松永陽花さん
団体内での愛称は「まっつん」
3期生は、高校二年生にあたる2020年の10月から、高校三年生の2021年の8月頃まで、メインとして活躍していました。
3期生がメインの時期ももまだまだコロナ禍の影響を受けている時期であり、まだまだ多くの制限がありました。
そんな中、E4の3期生として代表に選ばれたのは、齊藤さんでした。
齊藤さんはどうして代表になられたのですか?
私の代は人数が少ないのと、私が3期生の中で在籍期間が一番長かったんです。
E4ができた2019年に1期生の同じ高校の先輩の誘いを受けて、その時からE4メンバーとして活動してきました。
自分が一番行動的というかアクティブだった部分があって、実際に少ない人数のグループを自分で回すこととかもあったので、流れ的に自分かなと感じていました。
その後、齊藤さんのとの繋がりを通して、山口さんや松永さんもE4に入りました。
そんな齊藤さん率いる3期生ですが、コロナ禍を通してE4自体の人数減少が著しくなっており、実はかなり存続の危機に追いやられていました。
2期生と比べてメンバーが少なくなっていて、かつ、3年生になってもE4に残った人が、私たち含めて4人ぐらいになってしまったので、結構人数が少なくなっていたんですよね。
4期生(当時二年生)も二人しかいなかったし、5期生(当時一年生)もまだいませんでした。
また、リモートワークによる会議の現状は続いており、2期生に引き続き、コミュニケーションを取るのが厳しい状況となっていました。
当時は今みたいなOB/OGと含めた会議とかではなく、現役だけの会議が主流だったので、少ない人数の会議でした。
企画を立てるだけじゃなく、会議をするのも難しかったです。人が少ないから、その分それぞれの負担が大きくなってしまうんです。そして、LINEとかの連絡でしかコミュニケーションが取れなかったんです。
お互い対面じゃないと表情が見えないんです。だから、「今の発言間違っていたかな?」という時の表情が見えず、察することができないし、雰囲気もうまく作れなかったかなと思います。
このような状況もあり、3期生がメインの時の活動数自体は、少し抑え気味になっていました。
しかし、このような厳しい状況にもかかわらず、齋藤さんを始めとする3期生は、
どうにかして団体を未来へと繋げたいという強い想いを持っていました。
特に齊藤さんは、創設された年から在籍しており、創設メンバーと共に活動をしてきたので、その想いは格段に高いものでした。
代表を担うプレッシャーとかはありませんでしたか?
プレッシャーはそんなにありませんでした。
強いて言うなら「私の代でE4を終わらせていけない」とか、人が少なかったので、「どうにしかして活動を続けないと」いう気持ち、そして「インハイを続けないと」という気持ちがありました。
私たちの世代は高校3年生で部活動等で忙しい人が多かったのですが、少ない人数であっても「インハイを続ける」というのは守り続けなければなという想いを持って活動をすることを心がけていました。企画とかもそういう感じで進めていました。
やっぱり、インハイにかける想いが大きいと感じます。
高校1年生の時にE4に入ったので、インハイを運営側で知っていた身で、かつ、先輩方がインハイをどういうモノか知っていて、どういう想いで運営されていたのかを間近で見て、感じていたので、「E4を象徴する活動を無くす(引き継がない)のは避けたい」という強い想いがあったので、インハイという名前を使って、どうにか残そうと思っていました。
そんな齊藤さんの強い想いもあり、
3期生でインハイの企画は動き始めました。
しかし、2021年当時のコロナ禍では、感染者数に非常に波がある時期で、緊急事態宣言がいつ起きてもおかしくない状況でした。つまり、企画を進めていたとしても、直前になって中止になるリスクが常に潜んでいました。
そこで、3期生たちが考えたのが、「コロナ禍が悪化してもできる形式」でした。
ちょうどコロナ的にもその時は感染者数に波があって、8月も結果的に多くなっていました。なので、開催中止のリスクも考慮して、それなら「コロナ多くても出来る形式でやろう」という方針があって、結果として「模擬議会」という形式になりました。
山口さんのおっしゃる通り、2021年の夏ごろは、コロナの感染者が非常に増えている時期でした。
そのため、「コロナ禍が酷くてもできる形式」に舵を切ったことが、2021年度のインハイ開催の実現に繋がったと言えます。
そして、2021年、6月20日と7月28日に対面でインハイを開催することができました。
インハイが開催できて良かったです!
でも、なぜ「模擬議会」という形式なのでしょうか?
元々私は高校生議会系にも興味があって、そういう企画をやりたかったと前々から思っていました。
それが今回のコロナ禍で従来の形式できなかったことが、結果的にやりかった形式に繋がったのだと思います。
なるほどです!
でも、この形式だと、インハイの目的としてあった「中学生の志望高校を決める場」というのは難しかったのではないでしょうか?
はい、その目的は正直果たせなかったと考えています。
軽音楽部等は声を発するので、人を密閉する空間に入れるのが厳しかったので、やっぱり部活動の発表会形式は厳しかったんです。
とはいえ、議会は議会で人と話すものなので、コロナのリスクはゼロじゃないし、「議会」という形式ということで、人が集まるような企画でもなかったので、人を集める難しさもありました。
なので、開催自体も最終的には運が絡んだ部分もあるかと思います。
このように語る齊藤さん。
それでも、当初のインハイの根底の目的でもある「高校生を軸としたより良い秦野」はしっかりと実現できました。
模擬議会では「過ごしやすい秦野」を考える機会にしようと思いました。
議会の内容は「選挙向上」「学生が集まれる場所」「移動手段」などでした。
企画の根幹は「学生ターゲット」で、方向としては「秦野市をもっと楽しくなるにはどうするのか」というのを考えるものにしました。
最終的には、海老名や小田原みたいに「駅前をより充実させると若者にとって楽しい街になれるよ」というのを議会の結論として出せました。
このように、議会という形式ではありますが、議題内容はまさに高校生のためのものそのものでした。
齊藤さん率いる3期生が行ったインハイは、従来通りのインハイで無かったために、中学生の進路選びの一助となる部分は無かったかと思います。
3期生のメンバーの中でも、そういう形式を望んでいた方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、それでも3期生は「先輩たちが行ってきたものを、ここで絶やしたくない」という強い気持ちが原動力となって、コロナ禍という状況の中かつ、人手不足という状況の中で最大限のことを行っていきました。
それらの想い、行動がインハイという形でE4に関わる人々、高校生、秦野市に発信されたのではないでしょうか。
このインハイの様子は、タウンニュースでも取り上げられました。
【3期生】お互いに支え合った3期生
そんな3期生ですが、先ほども述べた通り、団体全体でのメンバー数が減少しつつある時期でした。
3期生自体は5人でしたが、5人一緒に活動という機会はとても限られていました。
また、コロナ禍の影響でコミュニケーションもうまく取れないという状況も少なからずありました。
そんな状況下において、メンバーにとって、齊藤さんの存在は大きかったようです。
私にとって、齊藤さんは頭が上がらない存在です。心の支えです。
3年生になって私自身受験にフォーカス当てたこともあり、あまりE4に関与できない時期がありました。その時、ずっと齊藤さんに活動してもらっていたんです。実は、齊藤さんと私は高校も違ったので、より申し訳なさみたいなのがありました。
私自身、一時期活動に貢献できなかったことを後悔していて、この経験があるから今も「OG」として活動に関与しているんだと思います。
齊藤さんは「代表」として本当にふさわしい存在でした。
指示とかも、期間短くて、人数が少ない時に、私が代表の時は結構ギリギリのタイミングで焦ることがあるんですけど、齊藤さんはそんなこともなく、早めに指示とかを出してくれたので、「やべやらなくちゃ」って気持ちにさせてくれるし、時間ギリギリになっても、私みたいに焦ることがほとんどないので、団体の代表としてとても頼りになる存在でした。
このように語るお二人。
松永さんに至っては、E4に入って初めて齊藤さんにお会いしたそうですが、
「同世代でこんな人がいるんだ」
と衝撃を受けたとのこと。
私もインタビューの機会で初めて齊藤さんにお会いしましたが、齊藤さんはどことなく「かっこよさ」があると感じました。
その「かっこよさ」の正体は、積極的なのはもちろんのこと、「先輩の想いを絶やしてはいけない」という熱い想いを抱いていて、その重圧に臆することなく活動を進めていたので「代表」として本当に頼りになる存在である印象から感じられました。
また、上記のようにメンバーからの熱い支持を受けつつも「そんなことないよ(笑)」という謙虚さも持ち合わせているほか、先輩としてE4の後輩たちとのコミュニケーションの場を設けることもあったそうです。
そんな齊藤さん。大学に進学後もサークルを掛け持ちしていて、いずれも幹部クラスの役職についているようです
そして、今年の秦野市の「はたちのつどい」では、なんと実行委員長を担当していました。
今も積極的に活動されている齊藤さんですが、E4の経験があったので、「これくらい大丈夫!」って思って活動されているそうです。
また、齊藤さんにとっても、3期生のメンバーはとても頼りになる存在で、特に松永さんと山口さんの存在は心の支えになっていたようです。
3年生の活動に、松永さんと山口さんは特に関与してくれたのかなと思います。
この二人はお互い同じ高校ということもあったので、仕事をセットでお願いすることができたし、二人だから、ちょっと多めな量を割り振ってやっていたんですけど、それでもやり切ってくれました。
特に、複数のグループに分かれて行う会議の議事録は、まとめるのは大変だったのに、期日を守って、集めてくれたりと、ちゃんとやってくれていました。議事録を最終的にまとめるのは私でしたが、そこまでのまとめを請け負ってくれたのは感謝しかないです。
献身的かつ積極的で、かけがえのない同期だと思います!
このように語る齊藤さん。
これを聞いた松永さんが、思わず「飲み行く?(笑)」と話していたのが印象的で、本当に仲が良いんだなと感じました。
山口さんは、齊藤さんとは小学生からの友だちということもあり、お互いをよく知り合う存在でした。
元々は人前で発表するよりは、副委員長として委員会を支えることが多かったようです。
その中でも会議等で、ファシリテーターとして会議を回す経験等をされたそうです。
この役割を通し、齊藤さんをサポートしてきました。
松永さんは、E4に入って、最初に取り組んだ「マイプロジェクトアワード」でした。
当時はオンライン上で人の前で話すのが苦手であったり、PowerPointでの発表に大きな不安を感じていたそうですが、当時一緒に取り組んだ先輩に頼ったことでうまくやることができたとおっしゃっていました。
また、先述の通り、一時期活動に関与できなかった経験から、今も「OG」として献身的にE4の活動の支援をされています。
このように、松永さんは、E4で受けた感謝をずっと恩返しされており、それが現在のE4にも大きな影響を与えているという印象を受けました。
3期生は、確かに活動数自体は少ないかもしれません。
しかし、それでもインハイを改めて行うなど、人数が少ない中でそれぞれができることをやり切っていました。
特に、インハイの対面開催の実現は、齊藤さんのリーダーとしての働きかけによるものが非常に大きかったと言えます。
ですが、これらは齊藤さんだけでなく、齊藤さんに応える形でE4に貢献した3期生メンバーがそろっていたからこそ、実現できたことではないでしょうか。
どの世代にも共通して言えることですが、3期生のインハイは誰か一人でも欠けていたらできなかったと思います!
こうして、E4の活動は4期生へバトンを渡すことに繋がりました。
【4期生】「インハイの完全復活」をやり遂げた4期生
4期生のインタビューはこちらの3名!
太田晃煌さん
4期代表 団体内での愛称は「みつき」
吉野詩織さん
4期代表 団体内での愛称は「しおり」
髙橋翔一さん
団体内での愛称は「しょういち」
コロナ禍にイベントが減少していたこともあり、こちらの3人はメンバー経由でE4に入っていました。
太田さんは、3期生の齊藤さんの後輩と言うことで誘いを受け、吉野さんは2期生の豊田さんからE4についてお話を聞いており、興味が湧いたとのこと。
そして、髙橋さんは4期生のインハイ後に、幼馴染である太田さんから誘いを受けて入ったそうです。
さて、4期生は少し特殊なことに、「代表」が二人います。
もっと言うと、活動がメインになった際に、4期生はその二人しかいなかったのです。
それが、太田さんと吉野さんでした。
なぜ二人を代表にする形を取ったのでしょうか?
当時、僕らが高3の時に、メンバーが太田と吉野と5期の森尾さんしかいませんでした。
それで、4期の代表を決める時、「どっちか片方決めるよりも、ダブル代表で良いのかな」ということを事務局やOB/OGと話し合った結果、こういう形になりました。
表は吉野さん。裏は自分がという感じで動いていました。
このように語る太田さん。
髙橋さんは、4期生がメインの時期の終盤に入ったこともあり、現役メンバーの数で言うと、この時期が最も少なかった時期となります。
そんな4期生の活動実績ですが、最も顕著なのはやはりインハイの開催です。
3期生の時は、想定した形とは違うものになりながらも、何とか対面での開催を実現していましたが、
4期生はついに「初代と同じ形式のインハイ」を目指す方向になりました。
2021年の10月はコロナが結構酷く、来年度もスタンプラリーなどの別の企画を考えていましたが、12月頃になるとコロナも落ち着いてきました。
それを見計らって、「来年の夏にコロナ緩和されそうなら、インハイやらない?」というのを、事務局やOB/OGから声を掛けられたんです。それで、2022年の1月から、そのインハイを進める方向になりました。
このように、2022年度のインハイは、OB/OGが呼びかけたことがきっかけとしてありました。
それを聞いてどう思いましたか?
それを聞いてシンプルに嬉しかったです。
不安とかもあまり感じませんでした。
私は1期生のインハイを知らなかったので、「どういう感じなのかな?」という不安と「楽しそうだなぁ」という大規模なイベントへの楽しみがありました。
インハイの開催に向けて、抵抗はありつつも、期待を抱いていた太田さんと吉野さん。
そんなお二人ですが、実はインハイの活動までに一緒に交流して活動することはほとんどなかったようです。
お二人とも、高二の冬に行われた秦野青年会議所主催の「ドライブインシアター秦野」のボランティア活動に参加していた際に、初めてお会いしたそうですが、在籍はもっと早く、夏以前から在籍されていました。
その後も、春休み辺りまで二人がまた会うことが無く、一緒に活動を始めたのは高三のインハイの企画が本格的に始動し始めた時期でした。
これは、お互いのモチベーションや、活動時期が中々会わなかったため、そうなってしまったようです。
また、4期生は3期生よりもさらに少ない人数ということもあったので、結果的に片方しかいないという状況が多くあったそうです。
4期生は、E4の活動にいても、太田さんか私のどっちかがいるという状況が多かったです。決して仲が悪かったわけではなく、タイミングの問題でした。そのため、現役時はメンバー同士の関わりが薄い時期が多かったです。
このように語る吉野さん。
そんな4期生の状況を支えていたのが、OB/OGと事務局でした。
1期生が行ったインハイと違い、4期生のインハイはOB/OGという存在がありました。
コロナ禍によって、1期生の形式でインハイを出来なかった2期生、3期生にとっては、ここでようやく本来やりたかった形式に関わることができました。
1期生~3期生も、インハイやそのほかの活動を通して、一歩大人になっていることもあるため、事務局と同様の立場で現役メンバーをサポートできるようになっていました。
企画と市役所との連携がぼくらのメインの担当でしたが、インハイを開催するにあたっての協賛金集めは、OB/OGと事務局の方が担当してくれていました。
これは、お金関連や大人の話などは、事務局やOB/OGの方が担当してださっていたので、自分たちは企画や当日までの段取りや内容を決めることにフォーカスを当てることが出来たんです。
こうして、OB/OGや事務局の支えもあって、現役メンバーはインハイの計画を進めることができました。
今でこそOB/OGも活動に対して活発に取り組んでいるE4ですが、その形態を確立できたのは、この時のインハイだったのかもしれません。
そして、現役である太田さんと吉野さん、5期生の森尾さんもインハイの本番に向けて、全力で取り組みました。
その時特に大変だったのが、「参加する部活動集め」だったそうです。
色々電話したり、訪問したり。
この時はちょっと病んでいたかもしれないです。(笑)
自分の高校とかは、参加のお願いとかはできたんですけど、一部の高校はその高校のメンバーががいなかったので、電話したりFAXしたりして打診しました。
それこそ本当に人が少なかったので大変でした…
また、本番当日も非常に忙しかったようです。
ぼくはステージの転換の手伝いをしていて、参加してくれた方も手伝ってくれたので、その方への指示出しもしました。
私は出演者の方の案内とかを楽屋でアナウンスしたりしていて、同時にタウンニュースの取材を受けたりもしたので、本番はすごい走った気がします。(笑)
でも、一人だと不安だったので、太田くんが一緒に代表として活動できたのは心強かったです。
このように、準備から本番まで、忙しい日々が続いていました。
2期生や3期生だと、初代のインハイに携わった人はいましたが、
4期生はそういうこともなく、太田さんが中学生時に観客として楽しんだぐらいでした。
そのため、現役メンバーにとっては、何もかもが初めてだらけ故に大変だったというのは想像に難くありません。
それでも4期生は、見事にインハイを成し遂げました。
今回のテーマは「〜二年間の青春を取り戻せ〜」
これはもちろん、コロナ禍によって部活動等が制限された高校生たちに向けたものです。
数年前、コロナにより、青春の時期を過ごすはずだった高校生は多くの事を自粛せざるを得ない時期にありました。
そして、それはE4にとっても同じで、「これからだ!」と言うタイミングで、コロナによりあらゆる制限を受けていました。
そのため、今回のテーマは、4期生にとっても、「先輩たちの分の青春も取り戻していきたい」という想いが込められているように感じられました。
だからこそ、OB/OGがインハイの開催を支援するということは、単純に4期生のお手伝いだけでなく、「自分たちが出来なかった青春を取り戻している」とも言えるのではないかと、私は思います。
また、Part.1で紹介した成田さんのように、5期生のメンバーは今回のインハイを通してE4の参加したメンバーもいるため、人数が少ないという状況を打破にも繋がっていきました。
【4期生】E4の活動を通した4期生たちの心境
4期生のインハイを通して、吉野さんも太田さんはどのようなことを得られたのでしょうか?
私は昔からずっと保育士を目指しています。
保育士は保護者の人との対応とか企画を立てたりするので、そういう時の対応を勉強できる機会になりました。
あと、大学でスピーチをする機会があるのですが、これはE4の経験が間違いなく力になっています。
この経験は中々高校だと経験できないので、E4で経験できて良かったです。
このように語る吉野さん。
吉野さんは昔から、「挑戦」を大事にする方であり、実際、中学時代にアメリカへ留学や、生徒会等の機会に対して挑戦をする方であったそうです。
そんな中で、「E4」での挑戦は、自分自身の将来に結びつく経験をされていました。
ぼくは小さい時から引き込み事案で、目上の人とか話しかけるのが苦手でした。でも、E4は強制的にそういう人と話さないといけないので、そういうことには慣れましたし、抵抗はなくなりましたね。
あと、自分は裏方で企画書を作ったりとか、ポスターの制作とかをするタイプで、実際にインハイのポスターも僕が書きました。絵を描くのは好きだったのでそういうのにより磨きがかかりました。
でも、裏に対して「こういうこともした方が良かったのかな」という反省もするようになって、裏で使うスキルも磨かないといけないなって思いました。
今もE4で広報やっているので、デザインに関する勉強をしないといけないと感じています。裏の事に対する勉強したい気持ちと、表に立つことができる抵抗の無さがE4で得られたことですね。
このように語る太田さん。
表に立つという経験を得られつつも、「裏方」として、広報やデザイン等を今後より強化できるようにしたいという気持ちが湧いたようです。
実は、太田さんにとって、2022年度のポスターは反省点が残るものになっていたそうです。だからこそ、今でもデザインに関する勉強をしないといけないと感じており、「裏方に関すること」に対して、勉強したい気持ちを大切にされているそうです。
吉野さんと太田さんは、インハイを中心とした経験をE4で大きく得られており、それが今の活動の幅に広がっているのが印象的であると言えます。
一方で、髙橋さんは吉野さんや太田さんとは違うE4の経験をされています。
自分は太田に誘われてE4に入りました。
でも、その時期はほぼ活動が無い時期でした。
インハイの帰りに会って、話を聞いて興味を持ち、12月頃に定例会に参加し、そのまま成り行きでメンバーになりました。
このように語る髙橋さん。
髙橋さんは、比較的おとなしめの雰囲気がある吉野さんや太田さんとは対照的に、とても明るいのが特徴です。
そんな髙橋さんは、先述の通り、現役時にインハイの運営に関与されていません。
しかし、E4で得られたものとして、髙橋さんの経験はとても興味深いと感じられました。
正直、自分は小さい頃から人間を舐めていて、調子に乗りまくってました。
でも、E4は優秀な人が多いんですよね。だから、「おれここにいて良いのか?」みたいな劣等感を感じることがあったんです。
だから、いつもは話しまくる自分も、最近は自重した方が良いかなと言う気持ちになりました。
劣等感で自分から何かをやるって言うのはなくなりましたね。「これはこの人がやった方が良いよな」と言うのも感じるようになったので。
このように、お話を伺うと、E4に入ることで、自分を客観視できるようになったという印象を受けました。
そんな髙橋さんは、現在はOBとしてE4に貢献されています。
幼馴染である太田さんによると、E4にいる時の髙橋さんは、普段と比べてとても静かな方でいらっしゃるようです。ただ、意見があるときはしっかりと会議の場で述べていらっしゃるとのこと。何より、OBの中で一番元気な方であるとのことです。
自分も髙橋さんと初めてお会いした際、他のメンバーには無い元気さを感じられました。
このことから、髙橋さんはOBの立場で5期生以降のメンバーに大きな影響を与えている存在なのではないかと思います。
E4の中にある、和やかな空気は、OB/OGによるものが大きいと感じられますが、その中でも髙橋さんは、元気さを持ちつつ、メンバーのことをよく見ていらっしゃるため、現役生にとっても特に親しみやすい存在なのではないでしょうか。
私は、今回E4の特集にあたって、それぞれの世代の方に複数人お会いしましたが、
4期生は、その中でも同期での関係性がかなり特殊であるように感じました。
大前提として、4期生同士はお互いを支え合える仲となっています。
しかし、正直なところ、現役時は横の繋がりがすごく深かったわけではなかったようです。
先述した通り、吉野さんと太田さんは、現役時に会う期間が少し短めだっただけでなく、髙橋さんは、4期生のインハイの後にE4に入られたため、現役よりもむしろ「OB」としてのE4に対する貢献度が深いものとなっていました。
それでも、4期生が現役のうちにインハイを完全復活できたのは、OB/OGの支えがあったことや、僅かな期間でありながらも、4期生の皆さんの真面目に全力で取り組む姿勢が、お互いに信頼し合える関係として認知し合っていたからではないかと思います。
そして、髙橋さんのように、「OB/OG」として現在の活動に大きな貢献をされており、その過程でお互いの仲は現在はより深まりつつあります。
そう考えると、4期生の関係性は、面白くも、他の世代と全然遜色のない強いものであると私は思います。
【事務局】メンバーを裏から支えている事務局の方々
ここまで、1~4期生についてお話してきました。
前述のとおり、OB/OGは現在、現役生の活動の支援に回っています。
ですが、活動の支援をしている存在で、もう一つ忘れてはならないのが「事務局」の存在です。
事務局は、E4のSNSやタウンニュースにもほとんど言及が無く、Instagramの写真にも写ることが無い存在です。
ですが、事務局はE4の定例会にも毎回いらっしゃる方々で、OB/OG同様に、現役メンバーの案に対してアドバイスを行っていたり、会議の雰囲気を和ませてくれる存在であるため、E4の組織の中ではとても重要な立ち位置にいらっしゃると思いました。
事務局についても知ってみたい!
そう考え、私はお二人の事務局の方にもお話を伺ってみました。
事務局のインタビューはこちらの2名!
北村正仁さん
相澤明弘さん
事務局は合計で4人いらっしゃるとのこと。
お二人の本業は、北村さんは会社の役員で、相澤さんは会社の社長です。そのため、事務局としての活動はあくまでも有志によるものです。
お二人は、どのようにしてE4に携わったのでしょうか?
私たちは元々、「秦野青年会議所」の会員でした。
「秦野青年会議所」の事業の一つとして、「秦野高校生議会2018」を開いて、
そこで小野さんや櫻川さん等の1期生のメンバーと知り合いました。
その後、小野さんたちが市に「陳情書」を提出した後、その内容を実現するにはどうすれば良いと思うのか小野さんたちに投げかけた時に、小野さんたちが「じゃあ団体を立ち上げよう!」ということで、高校生たちだけでは中々難しいので、「お手伝いしますよ」という形でその団体に関わろうと思いました。
なぜ、そこで関わろうと思ったんですか?
最初は「責任感」というのもあったけど、その年に自分は青年会議所を終了する予定だったので、正直、暇になるからだったですね。
ただ、高校生議会の時に、担当副理事長でしたので、E4の方の顔もわかるし、他人事じゃないと思ったんですね。
私はその北村さんに誘われる形で参加しました。
その流れで「事務局がないと運営できないよね。」という感じで「事務局」が出来ました。
このように、お二人ともE4の設立時から事務局として携わっていました。
「事務局がないと運営できない」とのことですが、事務局のE4における役割とはなんでしょうか?
事務局の主な役割なんでしょうか?
まずは市役所との連絡・調整です。
次に、企画の中で大人が絡む時、高校生のみでは難しいやり取りもあるので、そういう場合はこちらでコンタクトをするようにしています。
あとは、高校生たちが提案した事業に対しての高校生の考え方とかを方向性をチェックします。間違った方向に行かないようにするためです。
あと、大人が絡んだ時に、他の大人の変な思惑に絡まれて、変なことをやらせると言ったことをしないように、フォローしたりしています。
E4の現役メンバーがまっすぐ自分たちのやりたいことができるようにしている役割という認識で大丈夫でしょうか?
そんな感じです。高校生のお手伝いですね。
事業の決定の有無は現役メンバー達にやらせていますが、E4の目的や意図とはズレない方向にするのが私たちの役目です。
主に、現役メンバーが間違った方向に進まないように色々なものをチェックしたり、外部との関わりで、大人の話になる部分を担当されているようです。
企画内容の考案、最終的な決議、企画書等の制作、イベントの運営等は基本的には高校生たち現役が行いますが、高校生という立場ではかなり難しい部分を、事務局の方が代わりにやってくださるとのこと。
おかげで、高校生たちは、自分たちのやるべき方向に全力で取り組める姿勢を貫けるようになっています。
部活動の顧問の先生と同じような立場と言えるでしょう。
【事務局】事務局とメンバーの関係性
今回、E4の活動に何度かお邪魔させていただきましたが、その時に気になっていたのが事務局の方とメンバーの距離感でした。
まず、基本的には両者の距離感は非常に近いです。
特に、北村さんについては、最もメンバーたちとの関わりが深く、メンバーに対してニックネームで呼んでおり、メンバー間でもそのニックネームが浸透しています。
現役メンバーも、休憩時間などでは北村さんと普通のお友だちの感覚で話していらっしゃる方もいました。
そして、インタビューの時に、北村さんがどういう存在かを聞いてみると…
パパ!
もう一人のお父さん!
人生の父です!
結婚式呼びたい(笑)
と、父親に近い感覚を持っていらっしゃるようでした。
ただ、メンバーたちがきちんと活動している時間は、北村さんも、それにしっかりと応えています。
特に、メンバーがインハイに向けての企画内容を突き詰めている際には、「なんでそういう風に考えているの?」であったり、「それをやる必要性はあるの?」といった耳が痛くなるような指摘もされています。
私は勉強を教えられるわけではないので、コミュニケーションや物事の考え方や進め方をE4で習ってほしいなと思っています。
基本的には企画を立てるのは高校生なので、企画を立てる際にも、メンバーには妥協しないで教えているかなと思います。
せっかくなので、高校では学べないことを学んでほしいなとは思っていますね。
このように語る北村さん。
北村さんは現役メンバーと寄り添って、「どうやったらやりたいことが実現できるか」を一緒に考えていたりしている役割と言えます。
一方で、相澤さんは北村さんと比べると、がっつりメンバーと関わっているわけではなく、もう少し離れた立場でメンバー達をサポートされているとのこと。
北村さんが、かなりうまいこと距離を詰めてやっているので、自分はあんまり詰め込み過ぎないようにしています。第三者的な立場と言うか、「外部から見てどう思われているのかな」と言うのは、気を付けていますね。
北村さんは、E4メンバーの想いとか気持ちがある程度わかっている部分があるので、そこを、自分や他の事務局メンバーは、もう少し離れた視点で「それってどうなんだろう?」「大丈夫なのかな?」という外部や一般の人からの視点で問題ないかのリスクを見ています。
このように語る相澤さん。
なお、これらの役割分担的な部分は、明確に役割を分けたのではなく、それぞれの得意分野で自然にできているとのこと。
事業内容を見る人もいれば、外部に出す文章を見る人、事業に出す手順を見る人等、外部の人に出すときに問題ないかを見る人等に分かれるそうです。
このように、メンバーと関わるだけでなく、様々な観点で高校生が「社会人として」の行動を学べる機会を、事務局の方々でサポートされていることがわかります。
このような側面で事務局に感謝しているメンバーも多くいらっしゃいました。
私たち高校生ではできないことをサポートしている面が多くて、すごいありがたいと思っています。
本当に我々の活動ができるのは、北村さんや事務局のおかげです。いなかったら活動できませんでした。頭が上がらない感謝でしかない存在です。
高校生とかだと、多くの書類を出してイベントが出来る分、Wordの使い方など多くの障壁があったんですけど、それを事務局の方々は支えてくれました。
また、事務局との関わりを通して「大人はみんな嫌いだったけど、事務局と関わって大人が好きになりました。」というメンバーもいらっしゃったようです。
実際、メンバーの皆さんには「こういう人になってほしい」というのはありますか?
社会に出た時に、「『E4の経験』があったから、出来たこと・実現できたことや幸せを掴めた。」みたいなのはあってほしいなと思っています。そしたら嬉しいですね。
あとは仲間づくりですかね。10年先、20年先にメンバー同士で集まって、「こんなことやったね」みたいなことをしゃべってもらえると、良いなと思います。
そういう仲間づくりは、何かを成し遂げないとできないと思います。
一緒に苦労を共にするじゃないけど、それで何かを達成して、付き合える仲間がいるのかなって思います。
それが幸せですね。町を変えてほしいというより、自分の人生を良くしてほしいなと思います。
事務局の方々の根底にあるのは、「秦野市のため」というよりは、「メンバーに幸せになってほしい」という想いが強くありました。
どの世代のインタビューにも共通していることで、どの世代もお互い非常に仲が良いです。それは、クラスメイト的な仲の良さではなく、「一緒に乗り越えた仲間」としての仲の良さでした。
それは、メンバーが全力で活動してきたのに加え、事務局の皆さんが「メンバーで力を合わせて乗り越えてほしい」と考えているからこそでもあると思います。
実際に、定例会等の会議の場でその時間が苦にならないように、場を和ませたり、メンバーが考えたものに対して真摯にアドバイスをしていらっしゃるのは、この考えによるものではないかと思います。
最後に、事務局の今後についてお伺いしてみました。
個人的にベストだと思っているのは、OB/OGの子たちが実働で事務局を担ってくれるとうれしいなと思います。
今はまだ就職して仕事を始めた人ばかりなので、こちらに力を割くのは難しいと思いますが、ある程度仕事に余裕が生まれたり、自分で会社を立ち上げたりして、自分の時間ができたら「事務局」として携わってくれたら嬉しいなとは思います。
このように語る相澤さん。
実際に、現在、小野さんはE4に「青年部」という高校を卒業したメンバーが入れる部を新たに作ろうとしていたり、インタビュー時にも事務局の役割は今後自分たちが担う必要性を案じているメンバーもいらっしゃいました。
それこそ、現在、OB/OGが携わっているのは、まさに事務局の活動的なものです。
あくまでE4は「有志団体」のため、社会人になりたてのメンバーなどは中々事務局ほどの支援は難しいようですが、現在のOB/OGの参画度の高さを考慮すると、将来的にはOB/OGが事務局になる可能性は十分あるように思えました。
事務局の皆さんは、現在もE4の活動のサポートを行っています。
ただし、そのサポートは決してメンバーの主体性を損なうものではなく、メンバーにより良いものを考えさせる機会を作ったり、あくまで「高校生じゃどうしてもできないこと」を代わりに担うものでした。
表舞台には決して立たない事務局ですが、E4がここまで多くのことをやってこれたのは、間違いなく事務局の方の尽力がありました。
それを一番理解されているのがE4のメンバーであり、だからこそ現役メンバーの支援に回る方もいらっしゃるということなんだと思います!
インタビューを終えて
今回、合計20名のメンバーからお話を伺いました。
それぞれの世代・代表によって全然違う活動を行っていましたが、活動に掛ける想いはどの世代もとても大きなものでした。
全力の活動を通して、メンバーのなかには、お互いに尊敬し合ったり、E4への情熱が高まった人たちも多くいらっしゃいます。
そんな人たちが、OB/OGとして、現役メンバーのサポートに回っているんだと思いました。
さらに、事務局の方々のサポートにより、メンバーの皆さんは高校では学べないけど大切なことを学んでいけます。それらを享受することで、自分のキャリアを築いたり、下の世代のサポートに還元しているという、良い循環があるのだと感じられました。
色々お話を聞いて、自分なりにE4の凄さというのが改めて見えてきたのかなと思います!
また、自分の中では、E4の取材を通して、「秦野市」への関心が高まりました。
E4メンバーの皆さんは、共通して「秦野愛」を持っており、それも原動力の一つとなっています。
それは、秦野市内の美しい自然風景や、閑静な町並み、地元を愛する商店街の皆さんなど、様々な魅力が秦野市にあるのだと思います。
もし、自分がE4に貢献できることがあるとすれば、My Playful Townで、秦野市の魅力を再発信することかもしれません。
今後は、もっと秦野市についての理解も深めてみたいです!
最後に、今回の取材を通して、現役メンバーや、OB/OG、事務局についての理解を深めましたが、
「学生団体E4」は、自分が思っていた以上に、面白く、魅力的な団体でした。
ですが、E4にはまだまだ隠された凄さというのがあるのかもしれません。
そんなE4に対して、秦野市への理解を深めこと等を通して、自分自身でもっと追及していけたらなと思います。
その成果を、いずれ「Part.3」として、出せたらなと思います!
今回、取材させていただいたE4の
【1期生】
・小野莉愛さん
・櫻川こなつさん
【2期生】
・村山綾菜さん
・寺田真優さん
・豊田天貴さん
【3期生】
・齊藤初依さん
・山口さくらさん
・松永陽花さん
【4期生】
・太田晃煌さん
・吉野詩織さん
・髙橋翔一さん
【5期生】
・森尾瑞樹さん
・成田大将さん
・嵯峨蒔季さん
・中嶋稜人さん
【6期生】
・望月こなみさん
・近藤瑞樹さん
・杉山愛羽さん
【事務局】
・北村正仁さん
・相澤明弘さん
素敵なお話を聞かせてくださり、
本当にありがとうございました!